皆さんこんにちは!松崎寛史(マツザキヒロシ)です。
2020年8月からキャンプスクレープに加わり、キッチンカーの出店担当を任せてもらっています。キャンプスクレープ代表のゆきちさんの義理の弟です。(姉の夫です)
この記事ではちょっと変わっている私の人生をシェアしながら自己紹介をしていきます。
キッチンカーに興味がある方、キャンプスクレープを応援してくれている方々、人生を変えたいと思っている方に読んでいただきだい内容です。
〈ざっくり自己紹介〉
- 生年月日:1994年5月20日(26歳)
- 独身
- 好きな食べ物:健康的な食事全般
- アレルギー:花粉全般・瓜科の野菜・豆乳・いくつかのフルーツ
- 趣味:英会話・海外ドラマ・映画鑑賞・好きな人とお酒を飲むこと
キャンプスクレープに加入したきっかけ
2019年冬。僕はアメリカに語学留学に行っていましたが、そのときにLINEで以下のようなやり取りをしました。

帰国後は何するか決めたの?

外国人観光客相手に接客業をしたいですが、まだ具体的には決まってませんねえ。

それだったら俺と一緒にやらない?

んー…

仕事って誰とやるかが大切だと思ってて、俺はヒロと働きたいんだ。
当時の私はキッチンカー業界に全く興味がなく、帰国後は観光業や外資系の会社で働くことを夢見ていました。しかし、彼の真っ直ぐな言葉に心を打たれ共に事業を進めていくことに決めました。
サービス業界で働くことが好きなこともあって、学生時代はアルバイトとして数々のサービス業を経験しており、「キャンプスクレープで自分の理想のサービスを作り上げ、お客様を喜ばせたい」そう思い、突然訪れたチャンスにかけてみることにしました。
元千葉市公務員
大学では土木工学を専攻し、その知識を活かして大卒後、地方公務員の土木職として千葉市に就職しました。
公務員になると思ったきっかけ
幸せな人生を送りたい。
幸せになるために仕事に求めること、仕事が自分の人生にもたらしてくれることは次のようなことであると当時の私は考えていました。
- 安定的な給料によって買いたいものが買えて、行きたいところに行けて、やりたいことができる。
- 大きな組織に勤め、終身雇用こそが理想の形であり、世間からも評価されることである。
- 家族、友人、大切な人たちにいつでも会えるように転勤は無いこと。
地方公務員になることで、それら全てを満たすことができると考え入庁に至りました。
入庁当時はイケイケで「このあと飲み会やりまーす」と大勢の同期を幹事としてまとめたり、「将来は局長になります」と壇上でお偉いさん方に宣言したりと完全に調子に乗っていました。
公務員時代の業務
道路や橋の設計、施工、維持管理などを行っている部署に配属され、土木職としてインフラの整備を行っていました。
インフラは市民生活に欠かせないものでありながら消耗品であるため、数々の市民からの要望を受け、時には現地調査に行ったり、直接市民の声を聞いたりするというのが必要な仕事でした。
しかしそんなやる気に満ちた時間は長くは続きませんでした。
公務員をやめた理由
- キツかった
- 土木に興味がないことに気付いてしまった
- 理想の自分を描けなくなった
以上の理由から念願の公務員になったもののわずか1年で退職を決意しました。
今でも私には元職場の先輩方への尊敬、感謝の気持ちがあり、私の文章では皆様に100%の気持ちをお伝えする技術がなく誤解を招く可能性があるため、具体的な退職までのエピソードについての記述は控えさせていただきます。
いつか私個人で運営しているYouTubeチャンネルでお話ししていこうと思っています。
そうして2019年3月31日付で、夢であった公務員を退職したのです。
沖縄移住-英語に惚れる
公務員退職を決意した後、就職活動を開始しました。民間企業から営業職として内定をいただき、4月からサラリーマンとして働くことになっていたある日..
そんな疑問が脳裏をぐるぐる駆け回りました。
この単純な考えで2週間後には沖縄いました。
環境を変える、新しい価値観に触れるため、外国人観光客や従業員が多い外資系のリゾートホテルでベルボーイとして住み込みで働き始めました。
予想は的中し、外国人の友達や今まで出会ったことない経験や価値観を持った日本人とたくさんの経験を共にしました。
そして気づいた頃には「海外で英語を学びたい。海外でもっと知らない世界、人に出会いたい。」そう強く望むようになっていました。
群馬県の自動車工場勤務
「工場は簡単に貯金ができるらしい」
留学に1日でも早く飛び出したかった私は、大好きな沖縄に別れを告げ、群馬県に移住しました。
移住後に留学先もアメリカに決め、ビザ取得などの具体的な手続きと貯金を同時並行で行いました。
工場での業務は単純な力仕事でシフトは三交代。
早朝シフト、昼間シフト、夜勤シフトを隔週で働くため、体調管理の面でも大変な仕事でした。
しかし、ここでも今まで出会ったことの無いタイプの方々との出会いがあり「今日もアメリカに1メートル近づいた」そう信じながら過ごした時間は、今となっては私の財産となっています。
ロサンゼルス留学
カナダやオーストラリアでワーキングホリデーを経験したことのある、沖縄で出会った友人達に影響され、最初はワーホリをするつもりで情報収集にあたりました。
しかしなんかピンとこなかったんです。
素敵な国だけれど本質的に興味があるのかと。
そんなとき人生を振り返ると「野球・ヒーロー映画・コメディドラマ・テクノロジー」、私に影響を与えてたそれらがアメリカ文化だと気がつきアメリカの中でも近代文化を引っ張るロサンゼルスに留学先を決定しました。
アメリカでは本当にたくさんのことを学びました。
語学学校では毎日英語学習だけではなく、アメリカ人の先生や外国人のクラスメイトと文化や価値観について意見を交換する機会がありました。
学校外でもミートアップなどのイベントに参加したりして、現地の人々に接する機会をとにかく作りました。
また留学8ヶ月間は通常の留学生活を過ごしたものの、以降4ヶ月間はコロナウイルスによるロックダウン、黒人差別問題に伴った治安の悪化で、予想だにしなかった時間も過ごしました。
アメリカ留学を通じて..
- 『あたり前の価値観』などは存在せず、もっと自分の信じる生き方をしていいこと
- 日本そして日本人とは何か
- 想像・噂・メディアから得た情報だけでなく、現地に行かなければわからないことがあること
に気が付くことができました。
中学から大学、公務員試験まで英語が一番苦手だった私が、今では毎日英語を勉強して、海外の政治をチェックし、ときには海外にいる外国人の友人と電話をしているなんて人生何が起きるかわからないものですね。
キャンプスクレープでやりたいこと
『こうしたらもっと良くなる!』という自分の中のアイデアを完全燃焼することが私のミッションです。
極論、売るのは自分自身だと思っていて、世界一おいしいクレープを作ったり、大儲けすることが目的ではありません。
長くクレープ業界に携わる気もありません。
アイデアを完全燃焼したい理由は学生時代のアルバイト経験にあります。
「もっとここをこうすればいいと思います。」そんなことを社員さんによく伝えていた私でしたが、「会社の決まりだから。昔からそうだから。」の一言が返ってきて何も変えることはできませんでした。
そのときの思い、気づきをキャンプスクレープに全力投球します。
今後もブログ、個人のメディアを通じてキッチンカー事業の進捗状況、私自身の成長を発信していきますので、チェックしていただけると幸いです。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
それでは皆さんも良い1日をお過ごしください!!
YouTube『クレープ屋さんのヒロ兄ちゃんねる』もよろしくお願いします。
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